コンテンツへスキップ
Text logo for

Illustration | Rina Matsudaira

紫織の指輪
inspired by 紫の上

紫織がもとは一介のアルバイト出身なのだと知ると、店の誰もが驚いた。お香を扱う、京都では名の知られた老舗である。


「ほんなら、バイトから社長夫人になったいうことですか   えらい玉の輿やなぁ」


露骨な反応をされるたび、紫織は苦笑するしかない。しかしなにしろ事実なのだから隠し立てするのもおかしな話だと、訊かれれば毎回、正直に答えた。


「そや、最初はアルバイトや、祇園店のな」

 

紫織は“ 洛中 ”とよばれる、京都のど真ん中に生まれ育った。家は裕福で、お嬢様学校として知られる私立に小学校から通う。大学を出たあとはイギリスに語学留学し、京都に帰ってきたのは二十五歳を過ぎてから。同級生たちはちょうど、最初の結婚ブームに湧いている頃だった。


「うちらももうええ歳やさかいなぁ。紫織は結婚、考えてへんの?」


帰国して早々そんな話題を振られ、面食らってしまった。イギリスで出会った人たちは、年齢を理由になにかをするべきだなんて考え方とは無縁だったのに。紫織は、ああ、日本に帰ってきたのだなぁとしみじみ思った。日本の、それも京都に。


京都は特殊な街だ。まず狭い。とても小さな街に、知己の人々が、お互い体面を気にしながら暮らしている。女性の美徳は“ はんなり ”していること。紫織は、はんなりとはほど遠い活発な娘だった。


小学校では女子サッカー、中学ではラクロス。体を動かすのが好きで、いつも真っ黒に日焼けしていた。屋外スポーツをやめるとみるみる色が白くなって、美人だ美人だと褒めそやされることも増えた。だが、それを鼻にかけないさっぱりとした気質である。

 

気の合う男友達といい仲になったことはあっても、惚れた腫れたのドロドロした恋愛とは無縁。片想いに身を焦がしたこともなければ、ふられてしくしく泣いたことも、彼氏がいないと焦ったこともない。


そんなだから結婚への興味も薄く、かといってキャリア志向というわけでもなかった紫織は、せめて英語を忘れないようにと、外国人のよく来る店で働こうと思い立った。
 
京都には年がら年中、海外からの観光客が押し寄せる。春の桜、秋の紅葉ともなれば、生活道がまともに進めないほどの混雑となる。とりわけ祇園の、お香の専門店ともなれば、よほどエキゾチックに映るらしく、外国人がひっきりなしに訪れる。匂い袋や文香といった品を英語で説明するとよく売れた。紫織の語学力は店でとても重宝された。


なにより、紫織は「香道」に明るかった。学校の方針で和のお稽古事が必修科目になっていたのだ。

 

小学校では茶道を嗜み、中学ではお琴、そして好きなものを選択できる高校時代、紫織は香道を選んだ。東山文化の栄えた時代に確立した、香りを“ 聞く ”芸事である。

湯呑みのような香炉を灰で満たし、火を熾した炭団を沈めて、きれいに箸目をつけておく。灰のてっぺんに「銀葉」という薄い雲母の板をちょこんと載せ、その上に香木を置いて香りを立たせる。これを顔に近づけ、手で覆って心静かに嗅ぐ。「聞香」という。


「組香」というのは、いくつかの香炉を回してみなで香りを聞き、順番を当てる風雅な遊びである。源氏香や七夕香といった主題があり、香りの組み合わせは図案化され、それぞれの回答には名前がつけられている。


「こら“ 常夏 ”とちがう?」
「ちゃうわ、“ 玉鬘 ”や」

 

あくまでゲーム感覚だったが、高校三年間みっちり続けたおかげで、一通りの所作は身についていた。場を取り仕切る「香元」の役もできるし、墨と筆で記録する「執筆」もお手のもの。灰手前という、灰に火箸でつける複雑な箸目の筋も記憶している。そんな素地もあって、お香の店の求人に応募したのだった。

 

語学力に加えて香道の知識もあることがわかると、ただの売り子にしておくのはもったいない人材だと、一年後には本店の店先に立っていた。若さと華やかな外見を買われ、通常の接客だけでなく、体験教室で香道の説明をする役目を仰せつかった。


香道は日本人にもあまり馴染みがない文化だ。修学旅行でやって来た小学生を相手に、一から説明するのはなかなか骨が折れる。同様に、海外から来た客に、香道の歴史や作法を伝えるのも難しかった。英語でどのように表現すればより伝わりやすいか頭をひねり、わざわざネイティブの講師について説明文を練り上げるなど、紫織はいきいきと仕事に邁進した。


そのうち、雑誌や新聞、ウェブ媒体、ときにはラジオ、テレビなどの取材対応も、紫織に回ってくるようになった。あれよあれよと正社員登用が決まる。紫織には「広報」の肩書きが与えられた。


とはいえ、お給料がいいわけではない。なにしろ古い体質の同族企業だ。一等地にビルを持ち、何代も前から付き合いのある取引先のおかげで経営は安定している。会社は大きく発展することもなければ傾くこともないため保守的だ。年嵩の男性社員はろくに仕事をせず、女性の従業員は制服を着用して黙々と事務をこなす。


海外の人からすると女性社員の制服姿はかなり封建的に映るらしく、紫織だけは私服の着用を許可された。勤続年数の長い女性事務員を差し置いて、商品開発会議にも呼ばれた。匂い袋のパッケージが古臭いので若いイラストレーターに発注したらどうかと提案したところ、すんなり企画が通った。SNSを活用した情報発信をしてはどうかと言うと、それもあなたがやってくれるならとゴーサインが出た。紫織の発言に誰もが耳を傾け、意見は尊重され、企画や提案は面白いように通った。どれも自分がまっとうなことを言っているからだと、紫織は思っていた。

 

 

 

常務取締役で次期社長の 光昭が、バツイチで子持ちという話は、アルバイト時代から紫織の耳にも入っていた。若い頃は大変な美青年だったといい、長身痩躯のスタイルはいまも変わらず。三つ揃えのグレーのスーツを完璧に着こなした姿は、J・C・ライエンデッカーのイラストのごとし。噂がひとり歩きしていたせいで、紫織は本店勤務になってはじめて光昭と顔を合わせたとき、映画スターを目にしたように「わぁ」っと胸を躍らせた。


光昭もまた、紫織に目をとめた。


自分より六つほど年若く、フェミニンなスカートをはいて店に立ち、香道の魅力を外国人にはきはき伝える女性。働く紫織は輝いていた。


光昭の好意が、どういった経緯で社内共有されたのかは知る由もない。ともかく、紫織は光昭に気に入られ、知らぬうちに贔屓されていたらしい。そうでなければただのアルバイトから、すんなり正社員登用され、広報という華やかでやりがいのある職を与えられ、企画が次々実現するはずもない。


紫織がそのことに気がついたのは、ずっとあとのことだ。

 

結婚は、夢物語のように紫織の目の前に立ち現れた。ある日、光昭に食事に誘われ、自分のものになって欲しいと乞われたのだ。


「あのぅ、どないな意味でしょうか?」


小首を傾げる紫織の問いに光昭は、白いテーブルクロスの上にリングケースを置くという、古風な仕草で回答した。


「こないな意味なんやけどな」


おそるおそるケースを開けると、一粒ダイヤの指輪が光り、紫織は思わずパタンと閉じた。いくらなんでも急過ぎる。社内で言葉を交わしたことはあっても、プライベートな会話をしたことはない。


突然のことに不信感がこみ上げるいっぽう、“ 選ばれた ”喜びが湧き上がるのを、紫織は抑えることができなかった。


「あんたが祇園店におったときからよう知ってんで」


光昭はお見通しのように言った。働きぶりも知っているし、どんな家のお嬢さんかも知っている。きみしかいない。


「会社の人間は噂好きやからなァ、つき合うたところでゴシップにされるだけや」

 

だから一足飛びに婚約して、ゆっくり結婚について考えてほしい。

 

そう言われると、なるほどそれもありかもしれないと、紫織はすとんと納得した。大人はそういうショートカットをするものなのかもしれない。


それに三十歳の誕生日を目前に、揺らいでもいたのだ。働きはじめた頃の、見るもの聞くものすべてが新鮮という時期はすでに終わってしまった。仕事であげられる成果はすべてあげた。ここから先はルーティン業務になっていくのだろうと、先が見えたところでもあった。そんなタイミングで降って湧いた結婚の申し出は、渡りに船という言葉がぴったりである。

 

婚約中の紫織は、うきうきと恋する乙女だった。と同時に、まるで探偵のように、光昭の行動に目を光らせた。


光昭にこれといった欠点はないが、心だけはいっこうに掴めない。なにを考えているのか、なにを思っているのか。浮気と言い切れるような証拠はないが、いつも女の影がちらついた。週に一度は先斗町へふらっと消えていく。


「若旦那いうんは遊ぶんも仕事のうちやからなァ」


大番頭はそんなことを言う。
 
聡明な紫織は、もう気づいている。結婚によって自分は光昭のものになる。だが、光昭が自分一人のものになるわけではないのだと。光昭のような家柄の人との結婚は、自分から籠の鳥になりにいくようなもの。光昭の妻としての人生は、経済的な安定と、社会的な基盤を約束してくれる。だが、ただ一つ、自由がない。

― だけど。と、紫織は考える。


この京都の街に生まれ育って、京都に暮らしている人に、そもそもそんな、鳥のような自由なんてあるのだろうか。知らない土地で生きるのではなく、生まれ育った土地に帰ることを決めた時点で、自分は自由を手放し、この街で暮らす安心や安定をとったのではないのか。だったら……。

 

 

 

 

代替わりし、社長夫人となった今も、紫織は店に立つ。華やいだ笑顔でお客様をもてなす。独身時代と変わらぬ給料をきちっともらい、自分のものは自分の財布から出す。誕生日にすら「、プレゼントにはお花を」と言って、形が残るものをもらうのを拒んだ。


そうして紫織は年に一つ、働いて得たお金で、好きなジュエリーリングを買う。そしてそれをリングケースに大事にしまった。毎年毎年、一つずつ増えていく指輪。儀式のように、自分の歴史を自分で積み上げていく。左手の薬指には結婚指輪をはめているが、それ以外の指は自由だ。どんな指輪をいくつはめようと。パソコンを叩いたり、メモをとったりする働きものの右手に光る、自分で選び、自分のために買った指輪たち。それを見るたび、紫織はこう確認するのだ。

 

自分はたしかに籠の鳥で、大空を駈けるような自由はない。けれど、私は私のもの。ほかの誰のものでもないのだと。


山内 マリコ | 1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。2008年「R-18文学賞」読者賞を受賞し2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著書に『一心同体だった』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』がある。

 


瑞貴のブローチ

inspired by 六条御息所


次の話を読む >