Illustration | Rina Matsudaira
月子のピアス
 inspired by 朧月夜
「すいません、ちょっといいですか?そのコーデめっちゃ好きです、Tシャツかわいい〜! あたしTikTokでこういう動画あげてる者ですが、今インタビューいいですか?」
月子が昼間の新京極で女の子に声をかける。呼び止められた子は、月子の耳で揺れる大きなピアスを見るなり興奮した様子で言った。
「え、もしかしてあの月子さんですよね?知ってます知ってます!TikTokのアカウント、フォローしてます!」
「ほんまぁ?うれしいわぁ〜」
口ではそう言いながらも、月子はまるっきり驚いていない。知名度には自信があった。あたしのことを知ってる人はIN、知らない人はOUT。無意識のうちに、そんな物差しで世間を見ている。
 
撮影許諾をもらうと、月子は彼女にカメラを向けながら、慣れた調子で質問を投げた。
「今日のファッションのポイントを教えてください」
「えっと、このTシャツは〈フラミンゴ〉で買ったアメコミのキャラTで、このショートパンツはGUだったかな」
「サンダルだと普通になっちゃうとこに、ブーツ合わせてるとこがめっちゃかわいいですね」と月子。
「あ、はい、これは〈トニーラマ〉っていうウエスタンのお店で買いました」
「京都で有名なとこですよね」
「はい、すごい本格的なとこです」
「あなたのファッション・ポリシーを教えてください」
「やっぱ古着が好きです。パンツはシルエットがけっこう流行りあるから、ファストファッションが多いんですけど、できれば全身古着でいたいくらい。あと、こういうブーツとかバッグは、中古でいいやつ買うようにしてます」
「ありがとうございました!」
 
大学時代に遊びではじめたファッション系の動画がバズり、波に乗って起業したのが三年前のこと。月子は二十歳で会社社長になった。いまや年齢の近い若者を中心に二十人を雇用している。経営者である父の助言を受けながらはじめた小さな会社だったが、いまでは業績で親の会社を抜きそうなほど好調だ。事業は縦型ショート動画の制作とソーシャルメディア活用コンサルティング。いずれも京都にはまだないタイプの会社だったこともあり、いまも一人勝ち状態が続く。
「やっぱし親が経営者やと発想ちゃうね」
幼なじみの朝子が月子の行動力に感心して言うと、
「動画の編集なんて暇な大学生がやるもんやろ?   大人がそんなん仕事にしだしたら終わりやからなぁ」
こんな口の利き方をするのが月子だ。
京都風のいけずとはまた違った、ストレートすぎる物言いが玉にきず。損得勘定のできない正直者なのだ。自分自身に正直な月子を、つき合いの長い朝子は憎めない美点だと思っているが、そう都合よく解釈してくれる人ばかりではなかった。その気はなくてもあちこちにケンカを売っているし、敵を作ることもしばしば。
朝子は毎度のごとく、「月ちゃん、言い方ぁ」と、やんわり嗜める。
 
しかし月子は、注意されたところでまったくきかない。
「そやさかいこれが仕事になるて、思いついたって言うてんねん。うちもショート動画やってみたい思て、編集ソフト使こてやってみるやん。最初のうちは楽しいて、バズったときは嬉しかったわぁ。フォロワー増えるのも嬉しかったし。そやけどだんだん面倒になるやん?     あんなん、えらい手間かかるもんやし。お金払ってでもええさかい、誰かに委託したいな思て、それでネットで調べたんやけど、東京の会社ばっかりで、こないなとこに頼むんはアホらしいし、そやったら自分で会社でも作った方がましやなー思て、はじめたんやない。普通や」
「普通とちゃうわ。普通は東京の会社か〜つまらんな〜思いながら渋々でも発注するもんや。ほな自分で作ろか〜ってなるところが、経営者の発想や言うてんのん」
「そうかぁ?」
「そうや」
月子のアカウントは、二十万を超えるフォロワー数を誇る。経営者になったいまもその活動は続けていて、表向きはインフルエンサーを名乗っている。
 
会社化して最初に営業をかけたのが、朝子のバイト先だった。観光客を相手にしたレンタル着物の店
なんて、京都にはごろごろある業態だ。そこで同業他社と差別化するため、PRにTikTokを使ってはどうかとお試し価格で持ちかけた。
道行く人にいきなり声をかけて、「着物を着てみませんか?」と提案。店に連れて行って着物を選び、店の人に着付けしてもらって、客は素敵な着物姿で京都観光に出かける、という流れが基本のフォーマット。週一本の新作動画UPの発注を受け、半年で結果が出なかったら撤退という話だったが、一ヶ月後にはもう反響があった。とくに外国人に着物を着せた動画は再生回数が二百万を超え、店はインバウンドビジネスを強化することにしたほどだった。
この成功例によって、月子の会社は一気に軌道に乗った。大手から仕事が舞い込み、人材確保が急務になった。自分の危うさを重々知っている月子は、ビジネスパートナーとして朝子を引き抜いた。朝子は浮ついたところのない手堅い性格だし、信用できる。それに、月子に忖度なしでものが言えたから。
*
 「 TikTok?そらさすがに使こてへんな」
春先に京都で開催された、とあるビッグメゾンのパーティー。インフルエンサーとして招待されていた月子は、たまたま目があった男と言葉を交わした。
「うちの会社も、一応インスタやら、やってるみたいやねんけど」
「なんの会社してはるんですか?」
「ここ、匂いせえへんか?」
突然そう言われ、月子は鼻をくんくんさせて、コクッとうなずく。
「ディフューザーでも焚いてるんやろうか」
「ちゃうちゃう、これごっつぅ高価なお香やで。うちで扱うてるもんなんやけどな。こないな屋号でやってますわ」
男はジャケットの内ポケットからブランドものの名刺入れを取り出すと、一枚ひょいと月子に渡した。いかにも社会人のマナーといった堅苦しい渡し方ではなく、まるで吸いかけの煙草を回すみたいな気安い仕草だ。
月子は受け取った名刺をしげしげと見た。聞いたことのあるような会社名と、代表取締役の文字。
 
「下の名前は、みつあき、で読み方おうてる?」
「おうてるで」
「あたしは月子」
ゴールドのクラッチバッグから、月子も名刺を出して渡した。
「ファッション系のインフルエンサーやけど、そっちは表向きいうか、仕事は動画制作やらコンサルやらの会社やってます」
「会社?   なんや、自分で起業したん?」
月子はニコリと自信をみなぎらせて微笑む。
「あすこにいてる子ぉと、二人で経営してんねん」
朝子のほうを指差した。動画チームに同行してカメラを回しながらインタビューしている朝子も、月子の様子に気がついて、軽く手をふる。
光昭は興味なさげに、さらりと話題を変えた。
「でっかいピアスつけてんなァ」
月子の耳たぶには、肩まで付きそうなくらい大ぶりのピアスが垂れ下がっている。光昭は唐突に手を伸ばして、ピアスのビジューに軽く触れた。月子の頬を、光昭の体温がかすめる。思わず体を引いて、
「おっさん距離感バグってんな」
当意即妙につっこむと、それが気に入ったのか、光昭は嬉しそうに大笑いした。こんなに無邪気に笑う大人の男もおるんやなぁと、月子は思った。
その瞬間、スイッチが入ってしまった。
もっとこの人と話したい。この人の笑顔が見たい。好意の萌芽が、真夏の植物のような勢いで 蔓を伸ばす。そのモードに入ったときの月子がいつもするように、早口で自己アピールをはじめた。好きな相手には自分のことを知ってもらいたいと思う性分なのだ。
「こないな大ぶりのピアスが、うちのトレードマークやねん。ファッション系のアカウントやるんやったら、自分を人に憶えてもろたほうがええなぁ思て。髪型やら眼鏡やらをトレードマークにしたら、なんや芸人さんみたいでちょっと変な感じになるし、いっつも同じなんはつまらんし。ほしたら肩につきそうな大っきいピアスつけよー思て」
弾丸トークを浴びた光昭は、困ったように笑いつつ、子どもを見守る親のように「はいはい」とたしなめてこう言った。
「賢いんやなァ。けど……」
 
けど?   言葉の先を、月子は待つ。
「けど、なんでそないな商売してるん?   あんたみたいなきれいな子ぉやったら、なんもしぃひんでもええ男寄ってきて、左うちわで生きてけるんと違うか」
月子はその発言にちょっと面食らった。腹を立てたわけではなく、純粋に驚いたのだ。好きな仕事を楽しいからやっているだけで、男の人に頼って生きていこうなんて考えたこともなかった。
生まれながらに会社を継ぐことを運命づけられた光昭のような男と、気まぐれにビジネスに手を出せる月子のような女は、そもそも仕事に対するモチベーションが違う。だからつい、こう言ってしまったのだ。
「……それ、褒めてるつもりかもしれへんけど、貶してんで?」
すると、意外な化学反応が起こった。
二人は互いの目を見て、同時に、なにかが破裂したように笑い出したのだ。目を合わせたまま、お腹を抱えて笑い合う二人。
月子にはもう、彼しか見えていない。
 
「なあ、こないだのパーティーで話しとったん、光昭いう人やろ?   お香屋のぼんの」
「なんで知ってんのん?」
月子は驚いた。
「あの人、京都一のプレイボーイて有名やで」
というのも、朝子がかつてバイトしていたレンタル着物店の店長が、まさに光昭に遊ばれたことがあり、酷い目にあった話を聞いていたのだ。
「月ちゃん、かわいいから心配や。もし言い寄られても無視するんやで。あいつは既婚者や」
注意喚起する朝子に、月子は言った。
「……言うのん遅いわ」
*
京都は狭い街だ。知り合いの知り合いをたどれば、大抵の人と繋がれそうな気がするほど、ここは小さなコミュニティでできている。老舗の跡取りと、若いインフルエンサー。よりにもよって、いずれの界隈でも高い知名度を誇る二人のスキャンダルだ。それは、京都人だけが味わえる蜜の味として、語り継がれた。
昔だったら醜聞なんていっときのことと割り切れただろう。居直って、無視を決め込んだかもしれない。けれど現代では。
誹謗中傷のコメントが溢れるアカウントを、月子はそっと消した。会社にまで嫌がらせの電話が来るのには閉口してしまう。父親からもリスクマネジメントができていないと叱責された。「京都には京都のコンプライアンスがあるんや」。月子は自分が立ち上げた会社を追われることとなった。
失ったものは数知れない。お金も、輝かしい未来も。社会的な信用も、人間関係も。
それなのに月子はどうしても、後悔する気にも、反省する気にもなれないのだった。
自分の気持ちにとことん素直になること。それのなにが悪いというのだろう。大人同士が自分たちの意思で惹かれ合ったことを、どうしてとやかく言われないといけないのだろう。どうせ人の噂なんて、みんなすぐ忘れてしまうのに。どうして他人のことを、ほうっておいてくれないんだろう。
月子はその正直さで、いつも損ばかりしている。
 
けれど、損しない人生なんて、生きるに値するんやろか?
月子はそういう子だった。無敵という言葉がぴったり。世間にそっぽを向かれても、ちょっとやそっとじゃへこたれない。世間から隠れようなんて思わない。トレードマークのピアスだって、外さなかった。
シャラシャラ、シャラシャラ。大ぶりのピアスを揺らし、月子は今日も、堂々と顔をあげて京都の街を歩く。誰になんと言われても。後ろ指を差されようとも。
山内 マリコ | 1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。2008年「R-18文学賞」読者賞を受賞し2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著書に『一心同体だった』『マリリン・トールド・ミー』『逃亡するガール』がある。